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2011年09月25日

ガンジーの社会的罪を考える。

「与え合いの世界」と「奪い合いの世界」

みんなが与え合えば、争うことなく、分かち合うことが出来るのに。


ここで注目すべきが、

ガンジーの七つの社会的罪 (Seven Social Sins)         例

1.理念なき政治 (Politics without Principles) ⇒ 利権まみれの政治家

2.労働なき富 (Wealth without Work)      ⇒ 金利で富を得る

3.良心なき快楽 (Pleasure without Conscience) ⇒ 法を犯した快楽

4.人格なき学識 (Knowledge without Character) ⇒ 人より経済を優先する学識者

5.道徳なき商業 (Commerce without Morality)  ⇒ 商品の偽装で儲ける企業

6.人間性なき科学(Science without Humanity)  ⇒ 人より合理性を優先する科学

7.献身なき信仰 (Worship without Sacrifice)  ⇒ 自己中心の宗教 


我々は、

政治家や仕事や商品等を選ぶ時、

自分のことでなく、将来の地球を考えなければならない。






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2011年09月23日

幸福になる唯一つの路とは!

幸せになるには、大きく分けて二つの方法があると言われている。

アメリカの政治家・科学者であるB・フランクリンは、
『幸福であるには二つの路がある。欲望を減らすか 又は 持ち物を増やすか』
といっている。

要するに、
1つは、無形・心の世界で、欲望を減らして幸せになる。
1つは、形・物質の世界で、物を増やして幸せになる。


「幸福度=モノ/欲望」の公式で示すことが出来きます。

しかし、これは間違っている。
心の幸せは、無限であり、いつでも手に入れることが出来る。
しかし、形の幸せは、有限であり、モノを手にいれる度に、さらにエスカレートし上級の物が欲しくなる。

要するに、
モノを手に入れると、それ以上に欲望が膨らみ、実は幸福度は小さくなるのである。
(金持ちは、さらに金を儲けようとする)

よって、
『幸福であるには唯一つの路がある。それは、欲望を減らすことである』
と私は考える。

まさに、禅の世界である。

植田真司 (日本の教育家・科学者)




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2011年08月10日

文武両道を取り戻せ!

文武両道とは、勉強も運動も極めるという意味ではありません。

「文」を極めるには「武」によって培われれる健全な肉体と精神が必要であり、
「武」を極めるには「文」によって培われれる明晰な頭脳が必要である。
という意味と解釈しています。

文武両道のキーワードは、「良い習慣」と考えています。

「文武両道、日本になし」という本がありました。
「日本には、文武両道の人がいないが、
アメリカでは、スポーツと引退後の社会の両方で成功している人が沢山いる」
という内容です。

なぜ、日本で文武両道が育たないのか?
私は、システムの違いだと思います。
アメリカには、文武両道を育てるシステムがある。

アメリカの大学ではNCAA(全米大学体育協会)が、
1週間に○○時間以内と練習時間に制限をかけています。
(一日中練習していたら、勉強する時間がなくなるし、体にもよくない)
さらに、学業が駄目だと、クラブをやめさせられることになる。
(学業を重視しています)

また、練習時間を制限しても、十分な勉強時間は取れません。
そこで、練習にも、勉強にも集中力が必要になってきます。
結局、時間を有効に使うようになり、良い習慣が身につくわけです。

企業も、「勉強だけ」「スポーツだけ」という人より、応用力があり、良い習慣を持った人を採用するのではないでしょうか?

将来のために、今何をしなければならないのか?
もう一度考える必要がありそうです。

                    植田 真司





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2011年08月09日

環境問題

下記の詞は、
アフリカ飢餓救済チャリティーレコード
WE ARE THE WORLD (USA for AFRICA)の詞です。

改めて詞を読んで心が熱くなりました。

マイケル・ジャクソンは、アフリカ飢餓救済のために、この曲をつくりましたが、
今やアフリカ救済でなく、地球救済が必要です。

世の中のすべてが、人工物に変わろうとしている。

一見便利のように思えるが、本当に人工物が人類に必要なのだろうか?

ともに生きている動物や植物よりも、高速道路や車の方が必要なのだろうか?

本当に必要なのは、自然ではないのだろうか。

今こそ、地球の自然を守らなければ、

人々が壊してきた自然を、我々の手で元に戻さなければ、

我々のために、そして子孫のために・・・。

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WE ARE THE WORLD (USA for AFRICA)の日本語訳

今こそあの声に耳を傾けるとき

今こそ世界が一つになるときだ

人々が死んでゆく

いのちを救うために手を貸すときがきた

それが、あらゆるものの中で最高の贈り物だ

これ以上知らない振りを続けるわけにはいかない

誰かがどこかで変化を起こさなければ

僕らはすべて神の大きな家族の一員だ

本当さ、愛こそすべての人に必要なのだ

僕らは仲間、僕らは神の子

明るい明日をつくるのは僕らの仕事

さあ、与えることからはじめよう。

・・・・・・・




ラベル:スポーツ 環境
posted by 植田真司 at 11:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月20日

農業もスポーツに!

最近、食糧不足が話題に! 日本のピンチをどのように救うのか?

世界的な食料不足で穀物の価格が高騰しはじめているようだ。原因は、中国やインドなどの新興国が豊かになり始め、食料需要が増えているからだ。中国やインドは、人口もすごいから、輸出に回す穀物が減るのは当然だろう。

日本はのん気だ、食料自給率(カロリーベース)は40%台にとどまり、就業人口の3%に満たない農家が日本の食料を支えている。しかも、農家の高齢化は進んでいる。地方農村部では、2〜3人に1人が75歳以上という超高齢化社会になっいく。50年前は、30%が農家だったのに。

------------
参考資料

総務庁「労働力調査」によると,農業就業人口は以下のようにその構成比を著しく低下させている。
1960年 総就業人口の27%
1975年 総就業人口の11%
1994年 総就業人口の5%
2001年 総就業人口の4%

 日本の農業の抱える大きな問題は,の農業就業者の高齢化や後継者不足である。
-------------

4次産業(情報産業)や5次産業(創造的産業?)とかいってるけど、いくら価値があり、経済力があっても、食べる物が無くては、生きていけないし、

どこの国も、自分達が生きていくために、穀物を作っているんだ。

金で、他国から食料を輸入すればいいという考えは、わがままだと思うな。

穀物が輸入されなくなると、イースター島のようになる。

イースター島は、緑豊かな島だった、食べる物も豊富だった。
しかし、文化が進み、1次産業を忘れ、みんなが石の像をつくり、遊び始めた。
遊びのために、島の緑を切り倒しはじめた。
森が少なくなり、洪水が増え、農地も少なくなり、水不足に悩まされた。
食料は減り、食料の取り合いで戦争し、多くの島民が戦った。
もはや島はあれ、穀物も育たず、少数の島民がかろうじて生きていくのが精一杯となった。

まるで、日本の未来を予測しているようだ。


そこで、提案したのが、
農業や漁業をスポーツのように、楽しく取り組もうという考えだ。

ファッション性のある機能的なユニフォーム。

ルールに基づいた農業オリンピック=収穫や品質の競争。

きっと、そんな時代が来ると私は考えている。

日本のわがままな考えを見直すことだ。

諦めてはいけない、まだまだ日本は立ち直れる。

私はそう信じている。


                 植田真司




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2011年07月13日

今のままで良いのか?

便利な世の中になり、我々は本当に幸せなのだろうか?

日々、考えさせられる。

我慢する力、耐える力が、人間から無くなっていくように思える。

人々は、我がままになり、自己中心で、モノを奪い合う。

そんな世の中になっていくような気がする。

教育の問題か?

そんな時、ダライ・ラマ14世の言葉が目に入った。

以下に引用。

------------------------------

「家は大きくなったが、家族は減った。

 どんどん便利になったが、余暇は減った。

 学位は取ったが、感性は鈍った。

 知識は増えたが、判断ができなくなった。

 専門家が増えた分だけ、問題も増えた。

 薬は増えたが、健康だと思う人は減った。

 月まで行って帰ってくるが、向かいの人に会いに行くのに、道を横断するのも大変になった。

 量は増えたが、質は下がった。

 背は高くなったが、気は短くなった。

 大儲けはできたが、人間関係は疎遠になった。

 窓にはたくさんのものが飾ってある時代だが、貯蔵庫は空っぽだ。」

--------------------------------

 やっぱり、気づいているんだ。

 でも、ダライ・ラマ氏でも、この流れを変えることが出来ないんだ。

 私は、何から手を付ければいいのだろうか?

 まず、文明先進国でありながら、被害者である日本人に気づいてもらうことだ。


                  植田 真司

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2011年07月03日

企業スポーツの定義が必要

企業スポーツについて一言

よく「企業スポーツがまた解散」「企業のスポーツへの理解がなくなった」などと言われるが一言いたい。企業スポーツの定義を明確にして議論しようと。

まず、私が考える「企業スポーツ」は、従業員やその家族の健康のために、福利厚生の一貫で行われる社内のスポーツのこと。これは、今後盛んになる方向に行くだろう。

しかし、上記で言われてている「企業スポーツ」は、企業がトップアスリートを雇用して、会社の仕事はほとんどしないで、宣伝のためにやっているスポーツのこと。

企業スポーツでも、目的がまったく違う。
私は、前者は必要だが、後者は必要でないと考える。

後者の仕組みは、一見選手にも企業にも都合がいいように見えるが、選手が引退すると、企業は選手を使うことが出来ず、選手もスポーツ以外で会社に貢献することが出来ず、お互いに不幸が待っている。

また後者の企業スポーツの選手は、アマチュアのように見えるが、実は企業から給料をもらい、スポーツだけしているので、プロスポーツ選手と同じである。
アマとプロの間の中途半端な立場になっている。

企業スポーツは何か、一度考えて欲しい。


結局、スポーツだけやってても、一生食べていけないということ。

だって、スポーツはもともと娯楽なんだから。

アメリカの一流アスリートは、勉強も頑張って、引退後は社会に貢献している。

まさに、文武両道である。(実は、アメリカ人に「日本に文武両道なし」と言われいる)

日本のアスリートも、文武両道を目指すべきだ。
この点が、国の政策で欠けているところか?

日本のスポーツ立国もいいが、スポーツの役割と課題点を明確にしないと、国民が賛成してくれないでしょう。少なくとも、スポーツ賛成派の意見だけを聞いているのでは、スポーツの課題は見えてこないだろう。

私も、スポーツ賛成派だが、反対派の意見にも、耳を傾けている。

議論する機会があれば、ぜひ参加したいものだ。

                                植田 真司








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2011年06月26日

人類は、幸せに向かっているのか?

人類の進んでいる方向が、これで良いのか考えさせられます。

中学校の国語の教科書にでてくる龍村仁さんの文章です。

私もまったく同感です。

以下引用
----------------------------------------

「ガイアの知性」  

ここ数年、わたしには鯨と象を撮影する機会がとても多かった。特に意識的に選んだつもリはないのに、結果としてそうなってきた理由を考えてみると、これは、鯨や象と深くつきあっている人たちが皆、人間としてとてもおもしろかったからだ。  

人種も職業も皆それぞれ異なっているのに、彼らには独特の、共通した雰囲気がある。  

彼らは、鯨や象を、自分の知的好奇心の対象とは考えなくなってきている。鯨や象から、なにかとてつもなく大切なものを学び取ろうとしている。そして、鯨や象に対して、畏敬の念さえ抱いているようにみえる。  

人間が、どうして野生の動物に対して畏敬の念まで抱くようになってしまうのだろうか。この、人間に対する興味から、わたしも鯨や象に興味を抱くようになった。そして、自然の中での鯨や象との出会いを重ね、彼らのことを知れば知るほど、わたしもまた、鯨や象に畏敬の念を抱くようになった。 
今では、鯨と象は、わたしたち人類にある重大な示唆を与えるために、あの大きな体で(現在の地球環境では、体が大きければ大きいほど生きるのが難しい。)数千万年もの間この地球に生き続けてきてくれたのでは、とさえ思っている。  

大脳新皮質の大きさとその複雑さからみて、鯨と象と人はほぼ対等の精神活動ができる、と考えられる。すなわち、この三種は、地球上で最も高度に進化した「知性」をもった存在だ、ということができる。実際、この三種の誕生からの成長過程はほぼ同じで、あらゆる動物の中で最も遅い。一歳は一歳、二歳は二歳、十五、六歳でほぼ一人前になリ、寿命も六、七十歳から長寿のもので百歳まで生きる。本能だけで生きるのではなく、年長者から生きるためのさまざまな知恵を学ぶために、これだけゆっくリと成長するのだろう。

このような点からみると、鯨と象と人は確かに似ている。しかし、だれの目にも明らかなように、人と他の二種とは何かが決定的に違っている。

現代人の中で、鯨や象が自分たちに匹敵する「知性」をもった存在である、と素直に信じられる人は、まずほとんどいないだろう。それは、我々が、言葉や文字を生み出し、道具や機械をつくリ、交通や通信手段を進歩させ、今やこの地球の全生命の未来を左右できるほどに科学技術を進歩させた、この能力を「知性」だと思いこんでいるからだ。  

これらの点からみれば、自らは何も生産せず、自然が与えてくれるものだけを食べて生き、あとは何もしないでいるようにみえる(実はそうではないのだが)鯨や象が、自分たちと対等の「知性」をもった存在とはとても思えないのは、当然のことである。

しかし、一九六〇年代に人って、さまざまな動機から、鯨や象たちと深いつきあいをするようになった人たちの中から、この「常識」に対する疑問が生まれ始めた。 

鯨や象は、人の「知性」とは全く別種の「知性」をもっているのではないか、あるいは、人の「知性」は、このガイアに存在する大きな「知性」の偏った一面の現れであリ、もう一方の面に鯨や象の「知性」が存在するのではないか、という疑問である。  

この疑問は、最初、水族館に捕らえられたオルカ(シャチ)やイルカに芸を教えようとする調教師や医者や心理学者、その手伝いをした音楽家、鯨の脳に興味をもつ大脳生理学者たちの実体験から生まれた。

彼らが異口同音に言う言葉がある。それは、オルカやイルカは決して、ただえさを欲しいがために本能的に芸をしているのではない、ということである。 

彼らは捕らわれの身となった自分の状況を、はっきリ認識している、という、そして、その状況を自ら受け人れると決意した時、初めて、自分とコミュニケーションしようとしている人間、さしあたっては調教師を喜ばせるために、そしてその状況の下で自分自身も、精いっぱい生きることを楽しむために、「芸」と呼ばれることを始めるのだ。水族館でオルカが見せてくれる「芸」のほとんどは、実は人間がオルカに強制的に教えこんだものではない。オルカのほうが、人間が求めていることを正確に理解し、自分のもっている高度な能力を、か弱い人間(調教師)のレベルに合わせて制御し、調整をしながら使っているからこそ可能になる「芸」なのだ。 

例えば、体長七メートルもある巨大なオルカが、狭いプールでちっぽけな人間を背ビレにつかまらせたまま猛スピードで泳ぎ、プールの端にくると、合図もないのに自ら細心の注意をはらって人間が落ちないようにスピードを落とし、そのまま人間をプールサイドに立たせてやる。また、水中から、直立姿勢の人間を自分の鼻先に立たせたまま上昇し、その人間を空中に放リ出す際には、その人間が決してプールサイドのコンクリートの上に投げ出されず、再び水中の安全な場所に落下するよう、スピード・高さ・方向などを三次元レベルで調整する。こんなことがはたして、ムチと飴による人間の強制だけでできるだろうか。ましてオルカは水中で生活している七メートルの巨体の持ち主なのだ。 

そこには、人間の強制ではなく、明らかに、オルカ自身の意志と選択がはたらいている。狭いプールに閉じこめられ、本来もっている高度な能力の何万分の一も使えない過酷な状況におかれながらも、自分が「友」として受け人れることを決意した人間を喜ばせ、そして自分自身も生きることを楽しむオルカの「心」があるからこそできることなのだ。

また、こんな話もある。 

人間が彼らに何かを教えようとすると、彼らの理解能力は驚くべき速さだそうだけれども、同時に、彼らもまた人間に何かを教えようとする、というのだ。 

フロリダの若い学者が、一頭の雌イルカに名前をつけ、それを発音させようと試みた。イルカと人間では声帯が大きく異なるので、なかなかうまくいかなかった。それでも、少しうまくいったときには、その学者は頭を上下にうんうんと振った。二人(一人と一頭か)の間ではそのしぐさが、互いに了解した、という合図だった。何度も繰リ返しているうちに、学者は、そのイルカが自分の名前とは別の、イルカ語のある音節を同時に繰リ返し発音するのに気がついた。しかしそれが何を意味するのかはわからなかった。そしてある時、はたと気づいた。「彼女はわたしにイルカ語の名前をつけ、それをわたしに発音せよ、と言っているのではないか。」そう思った彼は、必死でその発音を試みた。自分でも少しうまくいったかな、と思った時、なんとその雌イルカは、うんうんと頭を振リ、とてもうれしそうにプールじゅうをはしゃぎまわったというのだ。

象については、こんな話がある。  

アフリカのケニアで、ある自然保護官が象の寿命を調べるため、自然死した象の歯を集めていた。草原で新しく見つけた歯を持ち帰リ倉庫に納めておいたところ、その日から毎晩、巨大な象がやってきて、倉庫のかんぬきを開けようとする。不思議に思ったその保護官は、ある晩、かんぬきを開けたままにしておいた。すると、翌朝、数百個も集められていた歯の中から、その新しく収集した歯だけがなくなっていた。保護官がその歯を捜したところ、その歯はなんと、彼が発見したまさにその場所に戻されていたのだ。毎晩倉庫にやってきた象は、たぶん亡くなった象の肉親だったのだろう。それにしてもその象は、どうやって歯が倉庫にあることを知ったのだろう。数百個もある歯の中から、どうやって肉親の歯を見分けたのたろう。そして最大のなぞは、その象が、なぜ歯を元の場所にわざわざ戻したのだろう、ということだ。 

このように、鯨や象が高度な「知性」をもっていることは、たぶんまちがいない事実だ。

しかし、その「知性」は、科学技術を進歩させてきた人間の「知性」とは大きく違うものだ。人間の「知性」は、自分たちだけの安全と便利さのために自然をコントロールし、意のままに支配しようとする、いわば「攻撃的な知性」だ。この「攻撃的な知性」をあまリにも進歩させてきた結果として人間は環境破壊を起こし、地球全体の生命を危機に陥れている。これに対して、鯨や象のもつ「知性」は、いわば「受容的な知性」とでも呼べるものだ。彼らは、自然をコントロールしようなどとはいっさい思わず、そのかわリ、この自然のもつ無限に多様で複雑な営みを、できるだけ繊細に理解し、それに適応して生きるために、その高度な「知性」を使っている。 

だからこそ彼らは、我々人類よりはるか以前から、あの大きな体でこの地球に生きながらえてきたのだ。同じ地球に生まれながら、片面だけの「知性」を異常に進歩させてしまった我々人類は、今、もう一方の「知性」の持ち主である鯨や象たちからさまざまなことを学ぶことによって、真の意味の「ガイアの知性」に進化する必要がある、とわたしは思っている。  

-------------------------------------------

いかがでしょうか?

我々は自然をコントロールしようとしていませんか?

自然を破壊していると思いませんか?

自然がおかしくなるのは、人類が原因だと思いませんか?

今一度、自然と共生する方法を真剣に考える時です。

40億年の地球にとって、この100年で地球環境が大きく変わりました。

40歳の人間なら、100年は僅か31秒です。

この30秒で、急に地球の様態が悪化しているのです。

娯楽におぼれ、人類の使命(地球を守る)を忘れてはいけない。

いつまでも、青空の下でスポーツが楽しめる地球であって欲しい。

そう思う日々です。

               植田真司






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2011年04月23日

一流アドバイザーがクラブ活動指導 大阪成蹊学園

大阪成蹊大が新たな試みを・・・。

大阪日日新聞の記事より抜粋です。

「一流アドバイザーがクラブ活動指導 大阪成蹊学園  2011年4月20日

 大阪成蹊学園(大阪市東淀川区)は19日、学園内のクラブ活動を横断的に支援する「スポーツ&カルチャーセンター」を20日付で設置すると発表した。

 同センターは、同区相川の同じ敷地内にある大阪成蹊大、同短大、同女子高のクラブ活動を学校の枠を超えて育成支援する。陸上競技や水泳などスポーツ系5クラブと吹奏楽など文化系3クラブの計8クラブを強化指定種目とした。

 特別アドバイザーに日本陸連強化委員長の沢木啓祐さん、アドバイザーに同高卒業生でアテネ五輪競泳バタフライ銅メダリストの中西悠子さんを迎えるほか、陸上部コーチにミュンヘン五輪走り高跳び代表の冨沢英彦さんなど、各クラブに充実した指導陣を組んだ。

 沢木さんは「教育で大事なのは人をつくること。人をつくれば次の世代につながる。長いスパンで見て、適切なアドバイスをしていきたい」と話した。

 安田賢司センター長は「世界に通用するような人材を育成することで、学園内が活性化し、学生に自信と誇りを与えたい」と抱負を語った。」

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110420/20110420023.html


4月より、私も大阪成蹊大学の教員として、このセンターにも携わっています。

アスリート達にとって大切なことは、メダルを取ることではなく、人として成長すること。

コーチの一人であるテニスの木下プロが言っておられましたが、

「人間として成長しないと、テニスも上達しない」

まさに、文武両道です。

「文」と「武」は車の両輪です。

                     植田 真司







posted by 植田真司 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

幸せな人と不幸な人の習慣

世の中には、いろんな人がいます。
そのなかで気になるのが、幸せな人と不幸な人の違い。

何が、幸せと不幸を決めているのか? これが私の関心ごと。
研究テーマでもある。

何が違うのか。
それは、
物事を幸せに考える習慣(プラス思考)
物事を不幸せに考える習慣(マイナス思考)

私の経験から、幸せに考える人は、感謝に気持ちを大切にしている。

感謝の気持ちを持つとは、ただ「ありがとう」と言えばいいのではない。
心から、感謝の気持ちを持つことである。

例えば、タクシーに乗る。
目的に付いたら、運転手さんに「ありがとうございました」という。
タクシーのお陰で、時間に遅れないですんだり、雨に濡れなかったり、メリットを得たわけです。

お金を払っているからありがとうを言わないのは感謝の気持ちが足りない証拠。

感謝の気持ちを持って、プラス思考で生きていきましょう。

                    植田真司













ラベル:幸せ 考え方
posted by 植田真司 at 10:11| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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