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2020年05月04日

経済学は何を目的としているのか?

経済活動の自粛と再開、いろいろと議論されているが、
そもそも、経済学は何を目的としているのか?

経済とは、経世済民の略です。よって、経済学は、
「 世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」学問ということになります。

しかし、今の経済学は、「民を救う」より「企業や投資家の利益最大化」を目的にしているように思えます。

経済学には、「論理学的アプローチ」と「工学的アプローチ」の2つの起源があると言われています。
前者は、民全体の益や善を目的とするもの。 
後者は、自己利益最大化を目的としたものに思えます。

後者の学問が利益主義になった理由は、数値化すると集計・計算が容易く、結果が明確であった。
そのため、数値化しにくい人間の感情は排除され、人間の感情から離れたものになった。
さらに、自己利益最大化の学問には、ニーズがあったからでしょう。

証券取引や先物取引も、本来は企業活動を安定させるためのもの。
しかし、今では投資家の利益追求に利用されています。

コロナで、店を閉め、じっと我慢している人がいる中で、
株価の変動に便乗し、当たり前のように利益を得ようとしている人がいます。

まずは、「利益至上主義」の経済学から、人間中心「民を救う」経済学に戻したいものです。
posted by 植田真司 at 17:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月27日

コロナ対策には、思いやり。

緊急事態宣言中だが、キャンプに行く人が増えている。
確かに、キャンプ場など利用者の少ない広い場所を、
使用することは合理的かもしれない。

しかし、自分の行動を客観的に見てほしい。
誰にも迷惑をかけないと言うが、
コンビニ等で買い物をするかもしない。
地元の人は、不安である。

人は、感情の動物で合理的な判断をしないもの。
誰も使っていない広い場所があっても、
みんなで我慢して利用しないことに意味がある。
(健康目的で、地域内で運動することは許可したい)

人は、自立しているようで、本当に自立できている人なんていない。
必ず誰かの助けの元で生きている。

今、大切なものは、助け合い、思いやり。
思いやりを持って行動したい。
posted by 植田真司 at 10:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月25日

経済活動の自粛か再開か?

新型コロナウイルスの感染拡大が続いているが、経済活動の自粛を要望する人と、経済活動の再開を要望する人がいる。
それぞれに理由があり、お互いの考えを尊重し、じっくり言い分を聞きたい。
考えがバラバラでは、コロナの思うつぼだ。

二宮尊徳は、「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」と言っている。
渋沢栄一は、「道徳経済合一説」で「道徳と経済は両立させることができる」と言っている。

今は、人(道徳)と人(経済)が争う時ではない。
人と人が力を合わせ、助け合い、コロナに対抗しなければならない。
posted by 植田真司 at 15:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月23日

便利は害になる

元  和歌山県立医科大学学長の板倉徹名誉教授は、「便利さが私たちの脳に悪い影響をもたらして入り」と言う。
私も同感である。
便利になり使わなくなった人間の能力は、退化していく。
頭を使って計算をしなくなり、体を使って運動をしなくなった。
目先の便利は、長い目で見ると害になるかもしれない。


posted by 植田真司 at 18:31| Comment(0) | 不便益と便利害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月25日

ガンジーの社会的罪を考える。

「与え合いの世界」と「奪い合いの世界」


みんなが与え合えば、争うことなく、分かち合うことが出来るのに。



ここで注目すべきが、


ガンジーの七つの社会的罪 (Seven Social Sins)         例


1.理念なき政治 (Politics without Principles) ⇒ 利権まみれの政治家


2.労働なき富 (Wealth without Work)      ⇒ 金利で富を得る


3.良心なき快楽 (Pleasure without Conscience) ⇒ 法を犯した快楽


4.人格なき学識 (Knowledge without Character) ⇒ 人より経済を優先する学識者


5.道徳なき商業 (Commerce without Morality)  ⇒ 商品の偽装で儲ける企業


6.人間性なき科学(Science without Humanity)  ⇒ 人より合理性を優先する科学


7.献身なき信仰 (Worship without Sacrifice)  ⇒ 自己中心の宗教 



我々は、


政治家や仕事や商品等を選ぶ時、


自分のことでなく、将来の地球を考えなければならない。







posted by 植田真司 at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月23日

幸福になる唯一つの路とは!

幸せになるには、大きく分けて二つの方法があると言われている。

アメリカの政治家・科学者であるB・フランクリンは、
『幸福であるには二つの路がある。欲望を減らすか 又は 持ち物を増やすか』
といっている。

要するに、
1つは、無形・心の世界で、欲望を減らして幸せになる。
1つは、形・物質の世界で、物を増やして幸せになる。


「幸福度=モノ/欲望」の公式で示すことが出来きます。

しかし、これは間違っている。
心の幸せは、無限であり、いつでも手に入れることが出来る。
しかし、形の幸せは、有限であり、モノを手にいれる度に、さらにエスカレートし上級の物が欲しくなる。

要するに、
モノを手に入れると、それ以上に欲望が膨らみ、実は幸福度は小さくなるのである。
(金持ちは、さらに金を儲けようとする)

よって、
『幸福であるには唯一つの路がある。それは、欲望を減らすことである』
と私は考える。

まさに、禅の世界である。

植田真司 (日本の教育家・科学者)




posted by 植田真司 at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月10日

文武両道を取り戻せ!

文武両道とは、勉強も運動も極めるという意味ではありません。

「文」を極めるには「武」によって培われれる健全な肉体と精神が必要であり、
「武」を極めるには「文」によって培われれる明晰な頭脳が必要である。
という意味と解釈しています。

文武両道のキーワードは、「良い習慣」と考えています。

「文武両道、日本になし」という本がありました。
「日本には、文武両道の人がいないが、
アメリカでは、スポーツと引退後の社会の両方で成功している人が沢山いる」
という内容です。

なぜ、日本で文武両道が育たないのか?
私は、システムの違いだと思います。
アメリカには、文武両道を育てるシステムがある。

アメリカの大学ではNCAA(全米大学体育協会)が、
1週間に○○時間以内と練習時間に制限をかけています。
(一日中練習していたら、勉強する時間がなくなるし、体にもよくない)
さらに、学業が駄目だと、クラブをやめさせられることになる。
(学業を重視しています)

また、練習時間を制限しても、十分な勉強時間は取れません。
そこで、練習にも、勉強にも集中力が必要になってきます。
結局、時間を有効に使うようになり、良い習慣が身につくわけです。

企業も、「勉強だけ」「スポーツだけ」という人より、応用力があり、良い習慣を持った人を採用するのではないでしょうか?

将来のために、今何をしなければならないのか?
もう一度考える必要がありそうです。

                    植田 真司





posted by 植田真司 at 11:06| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月09日

環境問題

下記の詞は、
アフリカ飢餓救済チャリティーレコード
WE ARE THE WORLD (USA for AFRICA)の詞です。

改めて詞を読んで心が熱くなりました。

マイケル・ジャクソンは、アフリカ飢餓救済のために、この曲をつくりましたが、
今やアフリカ救済でなく、地球救済が必要です。

世の中のすべてが、人工物に変わろうとしている。

一見便利のように思えるが、本当に人工物が人類に必要なのだろうか?

ともに生きている動物や植物よりも、高速道路や車の方が必要なのだろうか?

本当に必要なのは、自然ではないのだろうか。

今こそ、地球の自然を守らなければ、

人々が壊してきた自然を、我々の手で元に戻さなければ、

我々のために、そして子孫のために・・・。

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WE ARE THE WORLD (USA for AFRICA)の日本語訳

今こそあの声に耳を傾けるとき

今こそ世界が一つになるときだ

人々が死んでゆく

いのちを救うために手を貸すときがきた

それが、あらゆるものの中で最高の贈り物だ

これ以上知らない振りを続けるわけにはいかない

誰かがどこかで変化を起こさなければ

僕らはすべて神の大きな家族の一員だ

本当さ、愛こそすべての人に必要なのだ

僕らは仲間、僕らは神の子

明るい明日をつくるのは僕らの仕事

さあ、与えることからはじめよう。

・・・・・・・




ラベル:スポーツ 環境
posted by 植田真司 at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月20日

農業もスポーツに!

最近、食糧不足が話題に! 日本のピンチをどのように救うのか?

世界的な食料不足で穀物の価格が高騰しはじめているようだ。原因は、中国やインドなどの新興国が豊かになり始め、食料需要が増えているからだ。中国やインドは、人口もすごいから、輸出に回す穀物が減るのは当然だろう。

日本はのん気だ、食料自給率(カロリーベース)は40%台にとどまり、就業人口の3%に満たない農家が日本の食料を支えている。しかも、農家の高齢化は進んでいる。地方農村部では、2〜3人に1人が75歳以上という超高齢化社会になっいく。50年前は、30%が農家だったのに。

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参考資料

総務庁「労働力調査」によると,農業就業人口は以下のようにその構成比を著しく低下させている。
1960年 総就業人口の27%
1975年 総就業人口の11%
1994年 総就業人口の5%
2001年 総就業人口の4%

 日本の農業の抱える大きな問題は,の農業就業者の高齢化や後継者不足である。
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4次産業(情報産業)や5次産業(創造的産業?)とかいってるけど、いくら価値があり、経済力があっても、食べる物が無くては、生きていけないし、

どこの国も、自分達が生きていくために、穀物を作っているんだ。

金で、他国から食料を輸入すればいいという考えは、わがままだと思うな。

穀物が輸入されなくなると、イースター島のようになる。

イースター島は、緑豊かな島だった、食べる物も豊富だった。
しかし、文化が進み、1次産業を忘れ、みんなが石の像をつくり、遊び始めた。
遊びのために、島の緑を切り倒しはじめた。
森が少なくなり、洪水が増え、農地も少なくなり、水不足に悩まされた。
食料は減り、食料の取り合いで戦争し、多くの島民が戦った。
もはや島はあれ、穀物も育たず、少数の島民がかろうじて生きていくのが精一杯となった。

まるで、日本の未来を予測しているようだ。


そこで、提案したのが、
農業や漁業をスポーツのように、楽しく取り組もうという考えだ。

ファッション性のある機能的なユニフォーム。

ルールに基づいた農業オリンピック=収穫や品質の競争。

きっと、そんな時代が来ると私は考えている。

日本のわがままな考えを見直すことだ。

諦めてはいけない、まだまだ日本は立ち直れる。

私はそう信じている。


                 植田真司




posted by 植田真司 at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月13日

今のままで良いのか?

便利な世の中になり、我々は本当に幸せなのだろうか?

日々、考えさせられる。

我慢する力、耐える力が、人間から無くなっていくように思える。

人々は、我がままになり、自己中心で、モノを奪い合う。

そんな世の中になっていくような気がする。

教育の問題か?

そんな時、ダライ・ラマ14世の言葉が目に入った。

以下に引用。

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「家は大きくなったが、家族は減った。

 どんどん便利になったが、余暇は減った。

 学位は取ったが、感性は鈍った。

 知識は増えたが、判断ができなくなった。

 専門家が増えた分だけ、問題も増えた。

 薬は増えたが、健康だと思う人は減った。

 月まで行って帰ってくるが、向かいの人に会いに行くのに、道を横断するのも大変になった。

 量は増えたが、質は下がった。

 背は高くなったが、気は短くなった。

 大儲けはできたが、人間関係は疎遠になった。

 窓にはたくさんのものが飾ってある時代だが、貯蔵庫は空っぽだ。」

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 やっぱり、気づいているんだ。

 でも、ダライ・ラマ氏でも、この流れを変えることが出来ないんだ。

 私は、何から手を付ければいいのだろうか?

 まず、文明先進国でありながら、被害者である日本人に気づいてもらうことだ。


                  植田 真司

posted by 植田真司 at 03:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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