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2011年07月20日

農業もスポーツに!

最近、食糧不足が話題に! 日本のピンチをどのように救うのか?

世界的な食料不足で穀物の価格が高騰しはじめているようだ。原因は、中国やインドなどの新興国が豊かになり始め、食料需要が増えているからだ。中国やインドは、人口もすごいから、輸出に回す穀物が減るのは当然だろう。

日本はのん気だ、食料自給率(カロリーベース)は40%台にとどまり、就業人口の3%に満たない農家が日本の食料を支えている。しかも、農家の高齢化は進んでいる。地方農村部では、2〜3人に1人が75歳以上という超高齢化社会になっいく。50年前は、30%が農家だったのに。

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参考資料

総務庁「労働力調査」によると,農業就業人口は以下のようにその構成比を著しく低下させている。
1960年 総就業人口の27%
1975年 総就業人口の11%
1994年 総就業人口の5%
2001年 総就業人口の4%

 日本の農業の抱える大きな問題は,の農業就業者の高齢化や後継者不足である。
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4次産業(情報産業)や5次産業(創造的産業?)とかいってるけど、いくら価値があり、経済力があっても、食べる物が無くては、生きていけないし、

どこの国も、自分達が生きていくために、穀物を作っているんだ。

金で、他国から食料を輸入すればいいという考えは、わがままだと思うな。

穀物が輸入されなくなると、イースター島のようになる。

イースター島は、緑豊かな島だった、食べる物も豊富だった。
しかし、文化が進み、1次産業を忘れ、みんなが石の像をつくり、遊び始めた。
遊びのために、島の緑を切り倒しはじめた。
森が少なくなり、洪水が増え、農地も少なくなり、水不足に悩まされた。
食料は減り、食料の取り合いで戦争し、多くの島民が戦った。
もはや島はあれ、穀物も育たず、少数の島民がかろうじて生きていくのが精一杯となった。

まるで、日本の未来を予測しているようだ。


そこで、提案したのが、
農業や漁業をスポーツのように、楽しく取り組もうという考えだ。

ファッション性のある機能的なユニフォーム。

ルールに基づいた農業オリンピック=収穫や品質の競争。

きっと、そんな時代が来ると私は考えている。

日本のわがままな考えを見直すことだ。

諦めてはいけない、まだまだ日本は立ち直れる。

私はそう信じている。


                 植田真司




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2011年07月13日

今のままで良いのか?

便利な世の中になり、我々は本当に幸せなのだろうか?

日々、考えさせられる。

我慢する力、耐える力が、人間から無くなっていくように思える。

人々は、我がままになり、自己中心で、モノを奪い合う。

そんな世の中になっていくような気がする。

教育の問題か?

そんな時、ダライ・ラマ14世の言葉が目に入った。

以下に引用。

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「家は大きくなったが、家族は減った。

 どんどん便利になったが、余暇は減った。

 学位は取ったが、感性は鈍った。

 知識は増えたが、判断ができなくなった。

 専門家が増えた分だけ、問題も増えた。

 薬は増えたが、健康だと思う人は減った。

 月まで行って帰ってくるが、向かいの人に会いに行くのに、道を横断するのも大変になった。

 量は増えたが、質は下がった。

 背は高くなったが、気は短くなった。

 大儲けはできたが、人間関係は疎遠になった。

 窓にはたくさんのものが飾ってある時代だが、貯蔵庫は空っぽだ。」

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 やっぱり、気づいているんだ。

 でも、ダライ・ラマ氏でも、この流れを変えることが出来ないんだ。

 私は、何から手を付ければいいのだろうか?

 まず、文明先進国でありながら、被害者である日本人に気づいてもらうことだ。


                  植田 真司

posted by 植田真司 at 03:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月03日

企業スポーツの定義が必要

企業スポーツについて一言

よく「企業スポーツがまた解散」「企業のスポーツへの理解がなくなった」などと言われるが一言いたい。企業スポーツの定義を明確にして議論しようと。

まず、私が考える「企業スポーツ」は、従業員やその家族の健康のために、福利厚生の一貫で行われる社内のスポーツのこと。これは、今後盛んになる方向に行くだろう。

しかし、上記で言われてている「企業スポーツ」は、企業がトップアスリートを雇用して、会社の仕事はほとんどしないで、宣伝のためにやっているスポーツのこと。

企業スポーツでも、目的がまったく違う。
私は、前者は必要だが、後者は必要でないと考える。

後者の仕組みは、一見選手にも企業にも都合がいいように見えるが、選手が引退すると、企業は選手を使うことが出来ず、選手もスポーツ以外で会社に貢献することが出来ず、お互いに不幸が待っている。

また後者の企業スポーツの選手は、アマチュアのように見えるが、実は企業から給料をもらい、スポーツだけしているので、プロスポーツ選手と同じである。
アマとプロの間の中途半端な立場になっている。

企業スポーツは何か、一度考えて欲しい。


結局、スポーツだけやってても、一生食べていけないということ。

だって、スポーツはもともと娯楽なんだから。

アメリカの一流アスリートは、勉強も頑張って、引退後は社会に貢献している。

まさに、文武両道である。(実は、アメリカ人に「日本に文武両道なし」と言われいる)

日本のアスリートも、文武両道を目指すべきだ。
この点が、国の政策で欠けているところか?

日本のスポーツ立国もいいが、スポーツの役割と課題点を明確にしないと、国民が賛成してくれないでしょう。少なくとも、スポーツ賛成派の意見だけを聞いているのでは、スポーツの課題は見えてこないだろう。

私も、スポーツ賛成派だが、反対派の意見にも、耳を傾けている。

議論する機会があれば、ぜひ参加したいものだ。

                                植田 真司








posted by 植田真司 at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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