前回、「カッターシャツ」は、1918年に『水野利八』が考えた造語で、「勝った」をもじったもの。(東日本では「ワイシャツ」、西日本では「カッターシャツ」と呼ばれている)と書きましたが、調べてみると、
それ以外にも、
オーバースェーター(来日した米国 の職業野球団の選手が着ていた)
ボストンバッグ(語呂がよいから)
ランパン(ランニングパンツ)
ポロシャツ
開襟シャツ
替ズボン
スポーツマンハット
日本グツ
少女服
オランダマフラー(柄織りマフラー)・・・。
これらはすべて美津濃商店の独自のネーミングとして普及したものでした。
ビルの屋上などから長い垂れ幕をつり下げる、「フンドシ広告」
夏の甲子園名物のひとつ「カチ割り氷」
これも、水野利八氏のアイデアです。
また、野球の試合で、真っ赤なシャツを着て英語まじりの大声をはりあげて応援し、ひときわ目立つそのパフォーマンスで、
「あれが梅田新道で運動服を売ってる美津濃の兄弟やで、さすがちがうな」
「かっこええな!」
と学生の間で評判になり、野球観戦で、赤シャツを着て応援することを流行にしたそうです。
水野利八氏が繰り広げたこうした数々のアイデア商法に対して、経営の神様と言われる松下幸之助が「私に商売を教えてくれた人」と言ったそうです。
利八氏には、スポーツに対する熱い思いとすばらしい知恵があり、まさにスポーツ用品に魂を吹き込んでいたような気がします。