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2007年05月14日

日本を代表するスポーツブランド ミズノ 2

ミズノの創業者は水野利八。

前回、「カッターシャツ」は、1918年に『水野利八』が考えた造語で、「勝った」をもじったもの。(東日本では「ワイシャツ」、西日本では「カッターシャツ」と呼ばれている)と書きましたが、調べてみると、

それ以外にも、
オーバースェーター(来日した米国 の職業野球団の選手が着ていた)
ボストンバッグ(語呂がよいから)
ランパン(ランニングパンツ)
ポロシャツ
開襟シャツ
替ズボン
スポーツマンハット
日本グツ
少女服
オランダマフラー(柄織りマフラー)・・・。

これらはすべて美津濃商店の独自のネーミングとして普及したものでした。

ビルの屋上などから長い垂れ幕をつり下げる、「フンドシ広告」
夏の甲子園名物のひとつ「カチ割り氷」
これも、水野利八氏のアイデアです。

また、野球の試合で、真っ赤なシャツを着て英語まじりの大声をはりあげて応援し、ひときわ目立つそのパフォーマンスで、
「あれが梅田新道で運動服を売ってる美津濃の兄弟やで、さすがちがうな」
「かっこええな!」
と学生の間で評判になり、野球観戦で、赤シャツを着て応援することを流行にしたそうです。

水野利八氏が繰り広げたこうした数々のアイデア商法に対して、経営の神様と言われる松下幸之助が「私に商売を教えてくれた人」と言ったそうです。

利八氏には、スポーツに対する熱い思いとすばらしい知恵があり、まさにスポーツ用品に魂を吹き込んでいたような気がします。




posted by 植田真司 at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツブランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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