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2007年05月14日

日本を代表するスポーツブランド ミズノ 3

ミズノの創業者、水野利八。

1911年(明治44)に、水野利八の美津濃商店は「大阪実業団野球大会」で大成功します。
今でこそ企業が主催する「冠大会」は全盛ですが、当時は個人商店がスポーツ大会を主催することは奇想天外だったようです。これが、春秋2季60回近く続き、現在の都市対抗野球の母胎となりました。

さらに利八は、1913年(大正2年)、今度は美津濃商店主催で関西学生野球大会を開催します。
大阪、京都、奈良、岐阜などから43校の旧制中学校が参加し、大阪の豊中グランドで行われました。
そして2年後、朝日新聞から開催権を譲って欲しいと言われ、「新聞社でやってもらったほうが野球のためになる」と、あっさり了承。
これが夏の甲子園大会と呼ばれる全国高校野球選手権になりました。

高校野球大会開催にあたって、利八は「ボールの規格の統一とバウンド基準の制定」を提唱。
当時のボールはアメリカの規格がもととなっており、現在のものより10グラム以上も重く、手の小さい日本人向きに業者がまちまちに小さくしていました。「これでは野球の発展はない」と、ボールの規格を統一しました。このとき、反発が異なるようではゲームにならないと、本場アメリカのルールブックないバウンドの基準まで作成しました。

今高校野球で使われている公式ボールの、108個の縫い目と、13フィート6インチ(4m12)の高さから、大理石の上に自然落下させて4フィート6インチ(1m37)まで跳ね返るボールを標準規格としました。
(現在は、反発試験機による方法に変わっています)
ちなみにボールが跳ね返る高さはおよそ人間の目の高さで、実は利八の目の高さでした。

利八氏の、野球に掛ける思いが伝わってきます。



posted by 植田真司 at 21:05| Comment(0) | TrackBack(1) | スポーツブランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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