1918(大正7)年、鳥取県に生まれる。旧制鳥取第一中学校を卒業。軍隊生活を経て、終戦後の神戸の廃墟で、非行化していく青少年達の姿を目の当たりにして、「スポーツにより青少年を立派な国民に育てよう」と決意し、1949年(昭和24年)3月に、神戸市の自宅でスポーツシューズ製造
会社「鬼塚商会」を興す。
スポーツシューズ専門メーカーを目ざして、最初に開発した商品はバスケット・シューズで、すべりにくくするため靴底をタコの吸着盤のように工夫したものだったが、「オニツカタイガー」のブランドが無名で売れず。
1977年(昭和52年)7月 商号を株式会社アシックスに変更
株式会社ジィティオおよび ジェレンク株式会社と合併により、 縫製7工場およびジェレンクU.S.A.Incなどを引継ぐ
ちなみに、アシックスの名前の由来は、「健全な身体に健全な精神があれかし − “Anima Sana In Corpore Sano”」 の頭文字です。
1985年(昭和60年)7月 神戸ポートアイランドに新本社社屋建設、本店を移転。11月には基礎研究強化のため、スポーツ工学研究所を設置
現在アシック会長の鬼塚氏は、無一文から始め、創業3年目での倒産の危機や、二度にわたる闘病生活、死の宣告などいくつもの苦難を乗り越え、創業時の「スポーツを通して青少年の育成に貢献したい」という理念を貫き通して、今日の世界的スポーツ メーカーに築き上げました。
「なぜ町工場の靴屋が世界ブランドになったのか?」という質問に、鬼塚会長は、「それには起業した動機が大変重要である。私利私欲ではなく、使命感を持ってやり抜くことが大切で、強い意志と社会貢献の精神がないと事業は成功しない」とお答えになっています。
私も、スポーツのすばらしさを多くの方に知っていただきたいので、スポーツの振興を使命として、これからも活動を続けたいと思います。
鬼塚会長は、スポーツ産業学会の会長もされており、毎年学会のレセプションでお会いし、ご挨拶させていただいています。本当にお元気です。