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2007年09月01日

ワールドゲームズって知っていますか?

ワールドゲームズとは第2のオリンピックとも言われ、国際スポーツ団体総連合(GAISF)加盟競技の中でオリンピック競技種目に採用されていない種目を集めて開催される国際競技大会で、国際ワールドゲームズ協会(IWGA)主催、国際オリンピック委員会(IOC)後援で4年に1度開催されています。

この大会の特徴は、下記の5点です。

1.競技種目は、オリンピック競技種目以外の種目で、世界3大陸30ヶ国以上に協会があり、かつ過去に3回以上の世界選手権等が行われていることが基礎条件となります。

2.巨額の費用がかからない様に、既存の設備のみで開催出来る種目だけを実施するため、驚くほど低費用(秋田大会は約22億円)で開催可能です。

3.参加選手は国ではなく、各競技種目の国際競技団体(IF)が世界最高レベルの選手を選び、その選手が所属する各国競技協会に派遣を要請します。

4.開会式、閉会式の入退場や宿舎を国別ではなく、競技別にしたり、大会期間中に全選手に参加を呼びかけるパーティーを開き、国際交流を促進します。

5. 競技大会とは別に「スポーツ・フォー・オール」の普及を目的とした市民参加型スポーツイベントの他、コンサートや展示会なども実施される総合的文化イベントでもあります。


1981年にアメリカのサンタクララで第1回大会が開催され、その後WGCは、国際ワールドゲームズ協会(IWGA)と改称し現在にいたっています。

第1回大会から以降の開催場所、実施種目、参加人数は以下のとおり

 開催年 開催地   実施競技(公式・公開)参加選手数(地域数)
第1回1981 サンタクララ(アメリカ) 15(15・0) 1,265人(9カ国)
第2回1985 ロンドン(イギリス)   21(21・0) 1,550人(57カ国)
第3回1989 カールスルーエ(西ドイツ)19(17・2) 1,965人(49カ国)
第4回1993 ハーグ(オランダ)    26(22・4) 2,275人(49カ国)
第5回1997 ラハティ(フィンランド) 29(24・5) 1,725人(71カ国)
第6回2001 秋田(日本)       31(26・5) 2,193人(93カ国)
第7回2005 デュイスブルク(ドイツ) ?     ?


まだまだ、メジャーな大会ではないですが、一目起きたいですね。





posted by 植田真司 at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツブランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月09日

日本を代表するスポーツブランド デサント

デサントの創業者  石本他家男

1909年生まれ

1935年、石本他家男が「石本商店」を創業。(法人組織は1958年設立)

戦後の野球の普及を見越してボールやグローブの製造を開始。

1953年に綿布に防縮加工を施した野球用ユニホームやトレーニングパンツを開発。卵色の野球ユニフォームは大ヒットする。

1961年にブランド名のデサントを正式な社名に採用。

1964年にはワンポイントロゴを入れるきっかけ作りとなったゴルフウェア「マンシングウェア」を皮切りに「アディダス」、全米体育協会公認ウェア「NCAA」、フランスの「arena」、イタリアの「フィラ」などの世界一流スポーツブランドの日本での総販売代理店として現地からの輸入・提携を実施

(その後アディダス、NCAA、フィラは日本法人設立や他社への譲渡などでデサントとしては事業から撤退=事業縮小となる)

現在はデサントブランドのほか、ルコック、ミラ・ショーン、アンブロ、ノーティカなどのブランドの日本販売元となっている。

2006年現在は伊藤忠商事の関連会社になっている。
(かつて資本提携関係にあったところデサントが経営難に陥り、伊藤忠商事が支援した事による)

私が大学のころは、確か、
デサントが売上NO1、あとミズノ、アシックスと続いていた。
その後、マンシングの戦略の失敗から、
ミズノ、アシックス、デサントへのかわり、
現在は、アシックスがの本国内の売上NO1企業になり、
アシックス、ミズノ、デサントになっている。

いずれにしても、上記3社は日本の御三家であり関西の会社です。
アシックはシューズに強い会社
ミズノは、用具に強い会社
デサントは、アパレルに強い会社
のイメージがあります。

これからも、3社には関西の経済活性の為にも、頑張って頂きたいです。


posted by 植田真司 at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツブランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本を代表するスポーツブランド アシックス

アシックスの創業者 鬼塚喜八郎

1918(大正7)年、鳥取県に生まれる。旧制鳥取第一中学校を卒業。軍隊生活を経て、終戦後の神戸の廃墟で、非行化していく青少年達の姿を目の当たりにして、「スポーツにより青少年を立派な国民に育てよう」と決意し、1949年(昭和24年)3月に、神戸市の自宅でスポーツシューズ製造
会社「鬼塚商会」を興す。

スポーツシューズ専門メーカーを目ざして、最初に開発した商品はバスケット・シューズで、すべりにくくするため靴底をタコの吸着盤のように工夫したものだったが、「オニツカタイガー」のブランドが無名で売れず。

1977年(昭和52年)7月 商号を株式会社アシックスに変更
株式会社ジィティオおよび ジェレンク株式会社と合併により、 縫製7工場およびジェレンクU.S.A.Incなどを引継ぐ

ちなみに、アシックスの名前の由来は、「健全な身体に健全な精神があれかし − “Anima Sana In Corpore Sano”」 の頭文字です。

1985年(昭和60年)7月 神戸ポートアイランドに新本社社屋建設、本店を移転。11月には基礎研究強化のため、スポーツ工学研究所を設置


現在アシック会長の鬼塚氏は、無一文から始め、創業3年目での倒産の危機や、二度にわたる闘病生活、死の宣告などいくつもの苦難を乗り越え、創業時の「スポーツを通して青少年の育成に貢献したい」という理念を貫き通して、今日の世界的スポーツ メーカーに築き上げました。


「なぜ町工場の靴屋が世界ブランドになったのか?」という質問に、鬼塚会長は、「それには起業した動機が大変重要である。私利私欲ではなく、使命感を持ってやり抜くことが大切で、強い意志と社会貢献の精神がないと事業は成功しない」とお答えになっています。


私も、スポーツのすばらしさを多くの方に知っていただきたいので、スポーツの振興を使命として、これからも活動を続けたいと思います。

鬼塚会長は、スポーツ産業学会の会長もされており、毎年学会のレセプションでお会いし、ご挨拶させていただいています。本当にお元気です。
posted by 植田真司 at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツブランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月14日

日本を代表するスポーツブランド ミズノ 3

ミズノの創業者、水野利八。

1911年(明治44)に、水野利八の美津濃商店は「大阪実業団野球大会」で大成功します。
今でこそ企業が主催する「冠大会」は全盛ですが、当時は個人商店がスポーツ大会を主催することは奇想天外だったようです。これが、春秋2季60回近く続き、現在の都市対抗野球の母胎となりました。

さらに利八は、1913年(大正2年)、今度は美津濃商店主催で関西学生野球大会を開催します。
大阪、京都、奈良、岐阜などから43校の旧制中学校が参加し、大阪の豊中グランドで行われました。
そして2年後、朝日新聞から開催権を譲って欲しいと言われ、「新聞社でやってもらったほうが野球のためになる」と、あっさり了承。
これが夏の甲子園大会と呼ばれる全国高校野球選手権になりました。

高校野球大会開催にあたって、利八は「ボールの規格の統一とバウンド基準の制定」を提唱。
当時のボールはアメリカの規格がもととなっており、現在のものより10グラム以上も重く、手の小さい日本人向きに業者がまちまちに小さくしていました。「これでは野球の発展はない」と、ボールの規格を統一しました。このとき、反発が異なるようではゲームにならないと、本場アメリカのルールブックないバウンドの基準まで作成しました。

今高校野球で使われている公式ボールの、108個の縫い目と、13フィート6インチ(4m12)の高さから、大理石の上に自然落下させて4フィート6インチ(1m37)まで跳ね返るボールを標準規格としました。
(現在は、反発試験機による方法に変わっています)
ちなみにボールが跳ね返る高さはおよそ人間の目の高さで、実は利八の目の高さでした。

利八氏の、野球に掛ける思いが伝わってきます。



posted by 植田真司 at 21:05| Comment(0) | TrackBack(1) | スポーツブランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本を代表するスポーツブランド ミズノ 2

ミズノの創業者は水野利八。

前回、「カッターシャツ」は、1918年に『水野利八』が考えた造語で、「勝った」をもじったもの。(東日本では「ワイシャツ」、西日本では「カッターシャツ」と呼ばれている)と書きましたが、調べてみると、

それ以外にも、
オーバースェーター(来日した米国 の職業野球団の選手が着ていた)
ボストンバッグ(語呂がよいから)
ランパン(ランニングパンツ)
ポロシャツ
開襟シャツ
替ズボン
スポーツマンハット
日本グツ
少女服
オランダマフラー(柄織りマフラー)・・・。

これらはすべて美津濃商店の独自のネーミングとして普及したものでした。

ビルの屋上などから長い垂れ幕をつり下げる、「フンドシ広告」
夏の甲子園名物のひとつ「カチ割り氷」
これも、水野利八氏のアイデアです。

また、野球の試合で、真っ赤なシャツを着て英語まじりの大声をはりあげて応援し、ひときわ目立つそのパフォーマンスで、
「あれが梅田新道で運動服を売ってる美津濃の兄弟やで、さすがちがうな」
「かっこええな!」
と学生の間で評判になり、野球観戦で、赤シャツを着て応援することを流行にしたそうです。

水野利八氏が繰り広げたこうした数々のアイデア商法に対して、経営の神様と言われる松下幸之助が「私に商売を教えてくれた人」と言ったそうです。

利八氏には、スポーツに対する熱い思いとすばらしい知恵があり、まさにスポーツ用品に魂を吹き込んでいたような気がします。




posted by 植田真司 at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツブランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月05日

日本を代表するスポーツブランド ミズノ 1

ミズノの創業者は水野利八。

私の尊敬する人物の一人です。

「スポーツ産業は神聖なる産業、聖業である」という利八氏の言葉は、私の心に残る名言である。

私もこの言葉を心に留めて、日々活動している。

水野利八は、岐阜県の大垣藩で苗字帯刀を許された大工の棟梁の次男坊として生まれる。

12才で大阪に奉公に出て、早くから商才をあらわし若干17才で京都の織物問屋の番頭をつとめる。

このころから海外で大きな商いをしたいという夢を持っていた。

利八が19才の時、京都で三高(現在の京都大学)と神戸の外国人クリケット倶楽部との野球の試合を見て、野球の魅力にひかれ運動用品店を志します。これが、ミズノの原点となる。

(小さな頃からゼニの勘定だけしか知らなかった利八にとって、一銭の利益にもならないことに、全力を投入する姿に感動し、スポーツに魅力を感じた)

1906年(明治39年)に利八は、弟の利三と大阪市北区で水野兄弟商会という洋品雑貨及び運動服の製造販売業を創業する。

(これが、大阪が日本のスポーツ産業発祥地であるといわれる由縁である)

1910年(明治43年)水野兄弟商会を美津濃商店に改名。

(「水野」ではなく「美津濃」としたのは、岐阜県の美濃が出身地であることも影響しているが、子孫以外に会社を経営する優秀な人材が出てくることを考えてである)

1913年(大正2年)からは野球用のグラブ、ボールの製造を始める。

1923年(大正12年)美津濃運動用品株式会社を設立。

1942年(昭和17年)美津濃株式会社に名称変更。


カッターシャツは、1918年に『水野利八』が考えた造語で、「勝った」をもじったものである。

カッターシャツは、ワイシャツのことであるが、東日本では「ワイシャツ」、西日本では「カッターシャツ」と呼ばれている。




ラベル:ミズノ 水野利八
posted by 植田真司 at 03:25| Comment(1) | TrackBack(0) | スポーツブランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月19日

「DIOID」(ディオイド)

「DIOID」(ディオイド)は、2004年7月に、伊藤忠商事株式会社が、株式会社オクタゴン・ジャパン(本社:東京、代表取締役社長:徳島匡)の協力を得て、1988年ソウルオリンピック水泳金メダリストの鈴木大地氏(順天堂大学助教授、同大学水泳部監督)とアドバイザリー契約を締結し、スタートさせたブランドです。

「DIOID」は、美と健康、スポーツを愛する心をテーマとするライフスタイルブランド。ネーミングの「DIO」はDo it ourselvesを、「ID」はIdentityを意味しています。自分の力で泳ぐことをコンセプトに、鈴木大地氏のテーマである、家族のため、健康のため、環境のため、自分らしく力強く生きたいと願う人々に向けて発信していきます。

伊藤忠商事株式会社は、水泳を通じて真のスポーツマンを実践する鈴木大地氏の理念に共鳴し、同氏が提唱する「DIOID」のコンセプトに基づいた商品化に取り組むことになりました。

展開アイテムとしては、スイムウエア、水泳グッズ、アスレチックウエア、カジュアルウエア、サプリメント(栄養補助食品)、スポーツ飲料など、美と健康に関わる様々な業種とのコラボレーションを目指しています。

ライセンスを供与する企業では、株式会社健康体力研究所(サプリメント及びスポーツ飲料)、フットマーク株式会社(スイムウエア)、トップエース株式会社(スクール水着)など、順次ライセンシーを選定し、ブランドコンセプトに基づいた商品企画を進めています。

販売は、百貨店、スポーツ専門店、フィットネスクラブ、及び通信販売、インターネット販売、スクール販売などを中心に展開し、売上げ計画は3年後小売上代ベース10億円を予定。

果たして、3年目になる現在、10億円に達成しているのか気になるところ。
posted by 植田真司 at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツブランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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